Case studies
事例:ウェストパック銀行
1817年、ラックラン・マッコーリー総督がニューサウスウェールズ 銀行(後のウエストパック銀行)を設立した当時、オーストラリアには独自の通貨がなかった。マッコーリー総督は、新しい国家には金融システムが必要だという信念をもって、オーストラリアで最初の銀行を設立した。これはオーストラリア初の企業でもあった。やがてこの銀行は、オーストラリアの各地域に根ざして顧客サービスに力を入れていることで有名になった。
1980年代後半から1990年代前半にかけてオーストラリアの銀行業界は規制緩和が行われ、様々な変化があった。オーストラリア政府は、生活保護金を受領者の銀行口座に自動入金することとする、歴史的な新法を施行した。ところが時を同じくして、この規制緩和のもと、ウエストパック銀行は、全ての取引に対して手数料を取るようになった。生活保護を受けている人までもが、自分の生活保護金を手に入れるために手数料を払わなければならなくなった。ウエストパック銀行の経営陣は、こういった側面に配慮することなく、コストダウンと自社の株価上昇に夢中になっていた。
当時ウエストパック銀行の社長だったデビッド・モーガンは、当時のことを次のように語る--「誰もが、自身の足下を見失ってしまっていた。本来あるべき姿を忘れてしまっていた。我々は何ら特別な存在ではなくなってしまっていた---規制緩和、技術革新、そしてグローバル化などにより、我々は規制緩和によってもたらされた新たな自由に苦しみ、その『自由に伴う責任』を誤解してしまった組織の一つに成り下がった。傲慢な気持ち等が支配的だった。」
---1990年代半ば、ウエストパック銀行の経営陣は、顧客や投資家の同社に対する態度の変化に驚かされることとなった。
まず、顧客からの反応の変化にウエストパック銀行の支店職員たちは敏感に反応した。支店職員は制服を着用する規則になっていたが、公共交通機関利用時にウエストパックの行員と判ると悪口を言われることに耐えかね、通勤時には私服を身につけ、支店に着いてから制服に着替える者が少なくなかった。
1996年、ウエストパック銀行のCEOが記録的利益を上げたと発表したとき、投資家は喝采をもって歓迎することはなく、取締役会はショックを受けた。
当時、オーストラリア各地の地域社会は、銀行の挙動に対して怒りをあらわにしていた。ウエストパック銀行はその怒りの対象の1つだった。ウエストパック銀行は利益につながらない支店を閉じた。旧来の支店は「技術革新」によって無用となるという仮定のもとでのことだった。銀行は、社会的責任を果たさず、地域社会からの信頼を明らかに失っていた。記録的な収益を上げても、ウエストパック銀行の株式実績には繋がらなかった。
このような状況下、ウエストパック銀行の上級管理職たちは、ウエストパック銀行の「世間での評判」と「本来あるべき姿」とのギャップを浮き彫りにさせることによって、ウエストパック銀行の取締役会を納得させ、取締役会に方針を変更させることに成功した。
新たな方針のもと、様々な改革が実施された。当時、ウエストパック銀行は、顧客との接点である窓口業務を撤廃する方向に動いていたが、それを中断した。収益性の低い旧来の支店については、自社ビルの支店を持つことを止め、地元の小売業と提携した。 支店が既に閉鎖されたところでは、支店を商業ビルの中に復活させ、さらに営業時間を延長をした。このような努力により、コストは17%削減された。
さらに、ウエストパック銀行は、「オーストラリアの市民が効果的な金融リテラシーを身につけられるようにすることによって、生活の質向上につながる手助けになる」という約束を含めた、新たな方針を打ち出した。ウエストパック銀行を金融能力向上プログラムに引き立たせた背景には、手数料や使用料をなどの価格設定やマーケティング活動の透明性を高めようようとする意欲があった。(モーガン氏は、米国の銀行が顧客の金融能力や完全な透明化にもっと真剣に取り組んでいたならば、現在のサブプライム危機を回避することはできたであろうと言及している。)
ウエストパック銀行は、支払い期限の延長、一時的な財政難を和らげるようなオプション、財政的に圧迫した負債主が債務不履行を回避できないほど手遅れになる前にコンタクトをとるサービスなど、系統立ったサービスを整えた。
ウエストパック銀行が、地域社会と自社のスタッフに対し徹底的に投資したことで、従業員の銀行に対する意識も変わった。ウエストパック銀行の経営陣は、「従業員が自社を支持しなければ、会社は窮地に陥る」ということを学んだ。ウエストパック銀行が自社従業員に対して投資した背景には、高等教育を受けた「知識労働者」の出現により起きた、「雇用主から従業員へのイニシアティブの移行」をウエストパック銀行の経営陣が理解したということがある。
高等教育を受けた今日の「知識労働者」たちは、たとえそれが正しい管理であっても、管理されることに抵抗する。自己管理こそが「知識労働者」には相応しい。価値観の共有、透明なコミュニケーション、お互いを尊重する姿勢は、効果的な「自己管理」の必須事項であり、ウエストパック銀行の新たな方針は、この全てに対応している。今日、ウエストパック銀行は、オーストラリアで最も望ましい雇用主の中の1社に挙げられている。
2005年、ウエストパック銀行は、自社のCSR(企業の社会的責任)の対象に環境投資を取り入れた。ウエストパック銀行は気候変動を憂慮して、様々な業界(保険業から梱包業、エネルギー業に至るまで)から選んだ6社に対し、炭素取引権コンソーシアムの必要性の調査を依頼した。
調査から得られた結論は、政府の方針とは正反対の「炭素権取引システムは『緊急』になすべきものである」というのもので、主要産業がもたらす経済的・環境的影響が指摘された。ウエストパック銀行の顧客の中には、憤慨をあらわにしてウエストパック銀行との取引停止を表明し脅してくる者もあったが、ウエストパック銀行の努力は効果的だった---現在、オーストラリア連邦政府は、2010年を目標に、国家炭素取引排出計画を実施することに注力している。
今では、CSRはウエストパック銀行のDNAに深く組み込まれている。ウエストパック銀行は、そのミッションや価値観に対する自社のパフォーマンスに常に注意を払っている。同社によれば、ウエストパック銀行が世間からの支持を取り戻すのに5年を要したという。
混乱する昨今の市場においても、ウエストパック銀行はかなり上手に乗り切っている。
デビッド・モーガン氏は、1999年にCEOに就任し、2008年に退職した。